戦争の恐怖~【新映像の世紀第3集「時代は独裁者を求めた」】から考える人間の本質~

どうも。
今回は真面目に戦争について考えていきたいと思います。先日、NHKが制作した「新映像の世紀第3集~時代は独裁者を求めた~」を久しぶりに見て、改めて心が揺さぶられました。
同時に背中がゾクゾクするような感覚に見舞われ、戦争は過去の話しではなく、現在そして未来にわたり、起こりうるものであると痛感しました。

どうしてそう思うかというと、人間は状況次第で態度が急変するからです。

ナチ党のヒトラーは今考えれば恐ろしい法律である全権委任法を成立させました。

この法律は内閣が議会を通さずに勝手に法律を制定することができるという内容です。
これは議会制民主主義の否定であり、ヒトラーを独裁者と位置付ける決定的なものです。

ところでなぜこんな恐ろしい法律が成立したのでしょうか。歴史の教科書を読むと、なんか簡単に法律が成立したように見えますが、当時は猛反対にあったようです。当然ですよね。だってこんな法律認めたらやりたい放題ですから。

しかし、前述の通りこの法律は成立します。
その背景にあったのは国民からのヒトラーに対する熱狂的な支持でした。

ドイツは第一次世界大戦で敗北して他国に巨額の賠償金を支払い、更に1929年の世界恐慌で経済的に大きなダメージを受けます。そんな絶望的な状況下でヒトラーが登場します。彼は国民の失業率改善に努め、更に福利厚生の充実も図り、かつては高級品だった自動車を庶民にも所有できるような世の中にしていきます。
絶望的だった状態から経済は飛躍的に発展し、国民に夢と希望をもたせた点はヒトラーのカリスマ性を否定できません。ヒトラーは狂信的と言われていますが、その狂信性ゆえにここまでの事を成し遂げられたのでしょう。

しかし、ヒトラーは自国の民族以外の人々には極めて残酷な態度を示します。
周知のとおり、ユダヤ人の迫害は凄惨極まるものでした。ヒトラーは「ユダヤ人=消すべき存在」と位置付けていました。
その後もドイツはフランスやポーランドなどにも侵攻して領土を拡大していきましたが、最終的には米国、英国といった連合国ソ連によって打ちのめされます。こうしてヒトラーの野望は終わる訳ですが、私が今回のブログで伝えたいのは国民がヒトラーを支持したという事実です。

よく考えるとこれは恐ろしいことですよね。
何が恐ろしいかというと、ヒトラーの狂信性よりもそれを疑わなかった国民の心理です。

これは人間の本質なのかもしれません。
人間は環境が良くなれば、現状を肯定しようとする。仕事や勉強でも結果が付いている段階でやり方を変えようとする人はほとんどいませんよね。

もしかしたら、こうした一人一人の行動心理が戦争に結び付くのかもしれません。

少し強引な解釈かもしれません。しかし、戦争をする主体は人間です。日頃の行動に人間の本質が表れているとすれば、それが人を殺し会うという行動に日常の選択や判断が結び付くことは十分に考えられます。

つまり、人間は人間である以上、戦争を再び犯す可能性は十分にあるのです。

現にアフリカや中東アジアでは紛争が止みません。
彼らは異常だと決めつけるのは簡単ですが、我々日本人も同じような環境に置かれたら、同じ選択をする可能性があります。

第二次世界大戦でドイツに植民地化されたフランスでは、連合国の支援により再びドイツから主権を取り戻した際に、ナチスと仲良くしていたフランス人をいじめまくります。フランス人の女性は公衆の前で長髪をそぎおとされ、周囲からは歓喜の声が上がりました。無害であった民衆は急に悪魔のような雰囲気を作り出しました。
こんなに人間は変わるのかと、恐怖が湧き出てきます。

今の世の中はどうでしょう。
もしかしたら、人間の本質が牙を剥く日が来るかもしれません。
いや、あるいはもう牙は剥いているのでしょうか。
平和ボケの環境にいる私にはそれが見えていないだけなのかもしれません。

世の中では信頼というのはとても大切です。
その気持ちは変わりません。
しかし、中途半端な形で信頼を取り扱っていると痛い目に遭うかもしれません。
まぁ、私はそれが恋愛でもろに喰らいましたけど。

でも、それが戦争と結び付いていないだけ幸せです。
これも平和ボケからくる考えなのでしょうか。