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自分は自分であるために生きている

こんばんは。
久々の日記になります。
今日は私の人生観について書きたいと思います。
ここから先は口調が少し変わりますが、お付き合いください。

~知足(孔子の言葉より)~

私は一人の女の子に恋をした。それも大学生の女の子で18歳を迎えたばかりのフレッシュな子。

私はその時、20台後半の社会人。少なくとも彼女よりは人生経験豊富で社会の中身・動態は理解しているつもりだった。

私は彼女に付き合ってほしいと告白した。
彼女がその時に言った言葉は今でも忘れられない。
なぜなら、それは18歳の女の子とは思えぬほど、先を予測した的を射た言葉だったからだ。

「あなたは私と付き合ってどういう人生を送ろうと考えているの?私はまだ18歳だし、これから色々と経験を積んでいくことになる。その過程で私の気持ちはいつ変わるか分からない。突然、あなたを裏切る日が来るかもしれない。その覚悟を持って私と付き合おうと思っているの?私はたくさん色々なことを経験したい。それでもいいなら付き合うよ。長く続く保証はどこにもないよ。」

私の心に一瞬、迷いが生じたがそれでも決意は変わらなかった。私は「それでもいい」と告げた。
なぜなら、私にとって彼女は運命の人だと感じたからだ。私にとって彼女はかけがえのない存在だった。絶対にこの子を遠くにいる存在にしてはいけないと思った。

翌日、彼女から正式に彼氏としての許可を得た。それから先は私にとって幸せな日々が続いた。

モテない私に彼女がいることの喜びは長い間、私の心の原動力になり、四六時中彼女のことで心は満たされた。世間ではこれを恋の病というのかもしれないが、至福を導くのが病なら喜んで苦しんでやろう。そんな気分だった。

自宅デートもした。ドライブもした。旅行もした。そしてセックスもした。

本当に幸せだった。私はその至福の中に拘泥し、仕事にモチベーションを見出だせなくなった。そして仕事の辛さにやられて、ストレス性障害となった。
仕事は非正規になり、不安定な人生を迎えることになった。
それでも彼女は私のことを好きでいてくれた。
愚にもつかない男に長い間、愛情を注いでくれた。

私は彼女の愛に甘えた。自分を高めて彼女を守り、恩返しをしようという気持ちは全くなく、彼女といる時間だけを大切にしてしまった。
私はこの生き方は間違いだと思っている。
彼女との時間を大切にするだけでは、彼女を幸せにすることは出来ない。彼女と本気で生きていくには彼女について将来を安心させる必要があるのだ。
元々女性は視野が広い。縄文時代、男は狩りに勤しみ、女は身の回りに気を配った。男は目の前の獲物を仕留めることに重点が置かれた。それは現代の男の遺伝子に組み込まれている。男が近視眼的である所以はここにある。対して、女性は視野が広い。これは歴史に裏打ちされたものだ。

よって私は近視眼的になり、女の立場に立つことはしなかった。

読者の皆さんは察し済みだろう。彼女は私から徐々に距離を置くことになった。しかし、愚かな私はそれでも近視眼的な姿勢は崩さなかった。いや、崩せなかったのだ。なぜなら私は自分を高めることを怠り、彼女にすがることしか術をもたなかったからだ。

既に愛想を尽かしていた彼女は私との関係を金で繋いだ。誤解すべきでないのは、これは彼女の性格に問題があるのではなく、そうした関係に持ち込んだ私にある。私は彼女のために金を使いまくった。時には20万円あげたこともあった。
私の心の弱さは自らの財産を荒削りしていった。

その後、私は彼女に振られた。散々金を使ったものの彼女の心は買えなかった。当然だろう。私は彼女の立場に立つことはなかった。
私は鬱になった。死のうとも考えた。自分の愚かさにやりきれず、彼女を極悪人として自分を正当化しようとした。

続く