人生はやり直せる ~死にたい時こそ生きる道を①~
人生は辛いことだらけです。
ドイツの思想家ショーペンハウアーは「厭世」について説き、次のような記述を残しています。
“人生の始めと終わりとの間の道は常に下り坂である”
“人生とは失望と欺瞞以外の何物でもない”
“人間は失望を積み重ね、最後は死という断末魔が待っている”
これは一部ですが自分の人生が辛いと感じている方こそ、この言葉に深みを感じたり思い悩むきっかけになるかもしれません。
かく言う私自身もどん底の時期がありました。
仕事が上手く行かず、公務員試験を受けるという理由で非正規社員になり年収は激減。
試験は3回受験したものの、結果は全て不合格。3回目の試験は最終選考まで残っていたので「もうすぐだ!」と気持ちが高ぶっていただけに、不合格は鉄球を投げつけられたようなものでした。
公務員試験に惨敗した私は民間企業に就職するために転職活動をすることにしましたが、書類選考や面接で何度も落とされる始末。
それに見兼ねたようで当時付き合っていた彼女に振られ、金銭問題もあって最後は喧嘩別れ。
仕事も決まらず、彼女にも振られ、常に胸の奥に何かがつっかえているかのような苦しさがずっと続きました。体重も10キロ激減して、見かけの通り夢と希望も語れない社会人となってしまったのです。
私は彼女と結婚することまで考えていたので、心の支えは常にその子にありました。
友達も少なく、家族とも疎遠な私にとっては唯一の支えが恋愛でした
しかしそれが失われ、私は道端に捨てられたビンのように孤独を感じました。
激しい雨(後悔・悲しみ・苦痛)が降り注いでも私の外側を叩くだけで、内側にはその雨の冷たさだけが伝わってきます。私の内側にある汚れを洗い流すことはありませんでした。
とまあ、少し大げさな表現もありますが(笑)、私もどん底にいた経験があります。
今この記事を読んでいる方(もしかしたら自分だけ・・w)の中でもし同じような辛さを感じている人がいたら、あえてこの言葉を胸に刻みこんでみてはどうでしょうか。
“若い時に心を育てることもなく、また財産を作ることもしなかったならば、魚のいない沼にいる老いたサギのように悩む”
“若い時に心を育てることもなく、また財産を作ることもしなかったならば、昔のことを嘆きながら使い古された矢のように横たわる”
これは仏教の経典『ダンマパダ』に出てくる一節で、当時の私には強烈に刺さった言葉です。
私のこれまでの人生を全て言い当てている一節でしたので、辛かったですね。
でも、これについてあるお坊さんが素晴らしい説教をされ、人生の可能性を切り開いていけるお話をしてくださっています。
長くなっちゃったので、続きは次回にしようと思います。
では。