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自分に自信を持て

自信がない人ほど、おかしな方向に向かいやすい。


上手く行かない人の多くは適当にやっています。


なんともったいない!
自ら自分自身の価値を押し下げているのです。



私たちは人間ですので、心の持ち方で環境や行動を変えることができます。





自分がもし優秀で大切にすべき存在であると思えればば、自分の行動や外見に手を抜くことはあり得ない。

かつての私は自分に自身がなかったので、行動は適当だったし、外見も気にせず、外をぶらついていました。

休みの日は家でぐーたらするか、パチンコをやるかなど今思えば、だらしない生活をしていました。

実に情けない話しで、泣きたくなるほど後悔しています。

今思えば、就活も適当でしたね。自分に自信がないですから挑戦はせず、行動量は最低限でした。

当然、適当に決めた会社ですから長続きせず、転職を繰り返しました。

その間、女性関係で金を散財し、ギャンブルでも散財する始末。

こうやって振り返ると、くそなことばかりですが、一つだけ学んだことがあります。

それはこれらの失敗は全て自信の無さから生じたものだということです。

女性関係で金を散財
→自分に自信を持って高める努力をしていれば、きっぱりと別れて余計なお金を使わない。

就活を適当にやる
→自信がないから、人気企業にエントリーしない。
穴場を狙って本当にやりたい仕事に就けない。

ギャンブルで散財
→論外。稼ぐごとに自信がないから短期的収益に意識が傾く

顔がダサい
→これは余計なお世話。

外見がダサい
→髭を反り、服もきちんと手入れすれば見栄えはぐんと良くなる。


自信を持つことで解決できる問題だと気づけたら、物事が上手く進むようになりました。
何よりも心に余裕ができ、客観的に自分を見つめられるようになりました。

自分を大切にしなければならないと思ったのは大きな成長でした。

だからもし、環境を変えたいとか自分を変えたいと思っている人は自分を信じることから始めたらどうでしょうか。

生きる術なんて一つしかありません。自分をどう見るかに尽きます。

自信のある人は行動量が半端ないです。
そういう人が強く見えるのは頭がいいとか生まれもったカリスマ性だと決めつけるのは思考停止に過ぎません。

彼らが水面下でどれくらいばた足をし続けているか考えてみるといいでしょう。

主観的にしか物事を捉えられない人は水面下は見えません。見ようとしないのです。

客観的に見る人は全体像を掴もうとします。当然、ばたつかせている足にも目がいきます。

ムカつく上司がいたら、その人の顔や身体だけを見るのではなく、その上司の背景を見てみましょう。

何でこの人はこんな性格なんだろう?(大抵は苦労人だった可能性が高い。そして弱味がわりとある)

そう考えれば、接している目の前の上司はただの弱い人間に見えます。罵倒したり叱ることで自分の存在意義を維持しようと必死なのです。

相手が弱い人間に見えればあなたは客観的な目を身に付けている事になります。
なぜか?

だって人間は支えがないと一人では生きていけないのですから。



心の持ち方が自分を変える。これは事実です。

しかし、そんな簡単には心は変わりません。

変わる勇気が必要です。

現状に心地よさを感じているほど、変わるのは難しい。

ならば、何も考えず行動することから始めるといいかもしれません。

変わるきっかけは偶然です。

しかし、行動しなければその偶然とは出会えません。

偶然に生きる人生を上手く行きたい❗

私もそう考えながら日々もがいています(笑)

戦争の恐怖~【新映像の世紀第3集「時代は独裁者を求めた」】から考える人間の本質~

どうも。
今回は真面目に戦争について考えていきたいと思います。先日、NHKが制作した「新映像の世紀第3集~時代は独裁者を求めた~」を久しぶりに見て、改めて心が揺さぶられました。
同時に背中がゾクゾクするような感覚に見舞われ、戦争は過去の話しではなく、現在そして未来にわたり、起こりうるものであると痛感しました。

どうしてそう思うかというと、人間は状況次第で態度が急変するからです。

ナチ党のヒトラーは今考えれば恐ろしい法律である全権委任法を成立させました。

この法律は内閣が議会を通さずに勝手に法律を制定することができるという内容です。
これは議会制民主主義の否定であり、ヒトラーを独裁者と位置付ける決定的なものです。

ところでなぜこんな恐ろしい法律が成立したのでしょうか。歴史の教科書を読むと、なんか簡単に法律が成立したように見えますが、当時は猛反対にあったようです。当然ですよね。だってこんな法律認めたらやりたい放題ですから。

しかし、前述の通りこの法律は成立します。
その背景にあったのは国民からのヒトラーに対する熱狂的な支持でした。

ドイツは第一次世界大戦で敗北して他国に巨額の賠償金を支払い、更に1929年の世界恐慌で経済的に大きなダメージを受けます。そんな絶望的な状況下でヒトラーが登場します。彼は国民の失業率改善に努め、更に福利厚生の充実も図り、かつては高級品だった自動車を庶民にも所有できるような世の中にしていきます。
絶望的だった状態から経済は飛躍的に発展し、国民に夢と希望をもたせた点はヒトラーのカリスマ性を否定できません。ヒトラーは狂信的と言われていますが、その狂信性ゆえにここまでの事を成し遂げられたのでしょう。

しかし、ヒトラーは自国の民族以外の人々には極めて残酷な態度を示します。
周知のとおり、ユダヤ人の迫害は凄惨極まるものでした。ヒトラーは「ユダヤ人=消すべき存在」と位置付けていました。
その後もドイツはフランスやポーランドなどにも侵攻して領土を拡大していきましたが、最終的には米国、英国といった連合国ソ連によって打ちのめされます。こうしてヒトラーの野望は終わる訳ですが、私が今回のブログで伝えたいのは国民がヒトラーを支持したという事実です。

よく考えるとこれは恐ろしいことですよね。
何が恐ろしいかというと、ヒトラーの狂信性よりもそれを疑わなかった国民の心理です。

これは人間の本質なのかもしれません。
人間は環境が良くなれば、現状を肯定しようとする。仕事や勉強でも結果が付いている段階でやり方を変えようとする人はほとんどいませんよね。

もしかしたら、こうした一人一人の行動心理が戦争に結び付くのかもしれません。

少し強引な解釈かもしれません。しかし、戦争をする主体は人間です。日頃の行動に人間の本質が表れているとすれば、それが人を殺し会うという行動に日常の選択や判断が結び付くことは十分に考えられます。

つまり、人間は人間である以上、戦争を再び犯す可能性は十分にあるのです。

現にアフリカや中東アジアでは紛争が止みません。
彼らは異常だと決めつけるのは簡単ですが、我々日本人も同じような環境に置かれたら、同じ選択をする可能性があります。

第二次世界大戦でドイツに植民地化されたフランスでは、連合国の支援により再びドイツから主権を取り戻した際に、ナチスと仲良くしていたフランス人をいじめまくります。フランス人の女性は公衆の前で長髪をそぎおとされ、周囲からは歓喜の声が上がりました。無害であった民衆は急に悪魔のような雰囲気を作り出しました。
こんなに人間は変わるのかと、恐怖が湧き出てきます。

今の世の中はどうでしょう。
もしかしたら、人間の本質が牙を剥く日が来るかもしれません。
いや、あるいはもう牙は剥いているのでしょうか。
平和ボケの環境にいる私にはそれが見えていないだけなのかもしれません。

世の中では信頼というのはとても大切です。
その気持ちは変わりません。
しかし、中途半端な形で信頼を取り扱っていると痛い目に遭うかもしれません。
まぁ、私はそれが恋愛でもろに喰らいましたけど。

でも、それが戦争と結び付いていないだけ幸せです。
これも平和ボケからくる考えなのでしょうか。

武豊から学ぶ人生観

武豊といえば、「天才武豊」という四字熟語を真っ先に思い浮かべるほど、競馬界の第一人者であり、その才能に疑う余地はありません。

中央競馬4000勝というとてつもない記録を打ち立てるのも時間の問題でしょう。

武豊はその才能に止まらず、人間としても非常に優れた人物だと思います。

彼は2010年に落馬により大怪我を患い、長期離脱を余儀なくされます。その後半年で復活を果たしますが、以前のように勝ち星を重ねていくことが出来なくなります。
落馬で大怪我をしたわけですから、完調に戻るのには時間がかかるのは当然ですが、別の理由もあったようです。

最近は騎手の多様化が進み、外国人騎手や地方競馬出身の騎手の目覚ましい活躍もあり、以前のように勝つことが難しくなってきました。

おまけに馬主の発言力も強まり、言うことを聞いてくれる若手騎手や外国人騎手への騎乗依頼が増え、ベテランの武豊に有力馬が迎えることが激減してしまったのです。

競馬界最大の功労者である武豊を切り捨てる馬主が増えてきているのかもしれません。

マカヒキサトノダイヤモンドソウルスターリングといった有力馬に乗るのは外国人騎手ばかり。

明らかに不可抗力な要素も強い中、それでも武豊は周りのせいにすることはなく、「(悪いのは)全部自分ですよ」と謙虚な姿勢を貫く。
武豊の言葉に私も学んだことがあります。

「(自分から)人が離れていくのは自分がそういう環境を作ったからなんです。離れていく人が悪いのではない。だったら、また人が集まるように自分を直せばいいんです。」

若干、言葉を変えましたが、この言葉の通り環境は自分で決まるものだと気づきました。

私の周りからも色々な人が離れていきました。

当時は「離れていくやつは本当の仲間じゃない。」と決めつけて、自分に非があることを認めませんでした。

でも、偉大な武豊でさえ自分自身に責任を置くことを受けて、私は反省しました。

面白いやつの周りには自然と面白いやつが集まるんです。だから、学校や会社の奴らがつまらないという愚痴を言う前に自分を振り返るべきだと考えるようになりました。

自分は面白い奴だと周りに思わせることが大切なのではないでしょうか。

ギャグを言っていればいいのではなく、教養を高めたり経験を蓄積していくことが面白い人間になるポイントだと思います。

私もかつて教えていた生徒たちにこの事は強く伝えてきました。

今、自分がやっていることは面白い自分を作るのか?

武豊の言葉から少し離れているかもしれませんが、自分の環境は自分でコントロールするものです。

私は武豊の大ファンです。馬券を買うときもなるべく武豊の乗る馬を買うようにしています。

いつか武豊のような誇らしい人間になれるように私も精進していきたいと思います。


私のお気に入り~今週のお題「カラオケの十八番」より~

今週のお題「カラオケの十八番」

ということで、今回は私のお気に入りの曲の歌詞について触れながら、何か書こうと思います。

まぁ、私はカラオケに行くとサザンや桑田佳祐の曲ばっかり歌うのですが、今回はあえて別の曲を一つ。

海援隊の「スタートライン」をネタにしていきます。

これは金八先生シリーズの主題歌でもありますが、何といっても歌詞に魅力を感じる。

♪素直な奴ほど傷ついてしまう みんな上手にふざけて生きるのに たった一つの別れのために まっすぐ涙を流す人がいる♪

皆さんも「俺だ」、「私だ」と思うかもしれません。彼氏彼女との出逢いと別れ。人間にとって恋愛は最も幸せをもたらし、苦しみを与えるものです。

特に、一途に愛して幸せを噛み締めた後に振られた人はこの恋愛の真理を最も受け止めた人でしょう。

振る人はもう気持ちが冷めているわけですから一時の悲しみは在るにせよ、数時間経てば次の場所へと足を踏み入れます。

しかし振られた側はどうでしょう。別れたくない、まだ一緒にいたいのに一方的に切られたという事実を受け止めるのに時間がかかります。
立ち直ってもまた、苦痛がやってくる。
ノスタルジアに苛まれる日々にやりきれなさを感じるだけ。

でも、それはあなたが素直な人間だからです。
振る人は自分の人生の利益を考えて振るのですから、これまで尽くしてくれた人にも最後は「ふざける」のです。

「ふざける」のは人間の本質ですからこれに恨みを持っても仕方ありません。

振られた人に出来ることは「別れにまっすぐ涙を流して、そのあとはふざけて生きること」です。

素直に生きるとたった一つの別れに苛まれる日々が続きますから。

闇を選んでもいいんです。闇といっても犯罪に走ってはダメ。自分を仕事とか課外活動に没頭させるんです。それが楽しくなければ尚更よい。闇に生きていた方があとから来る微かな光に敏感になり、人生の些細なことに楽しさが生まれますよ。

「スタートライン」の歌詞にこうあります。

♪向こうの岸辺はあんなに明るく 街の灯りが夜を焦がすのに 微かな星の光を探して 闇を選んで走る人がいる♪

明るいところにだけいても、身近な幸せは感じませんから、闇の中に自分を送り込んでしまえば世界の見方が変わります。

これはブラック企業でも頑張れとかいう根性論ではなく、人生の真理だと思います。

人間は考える葦です。パスカルの言葉を借りましたが、悩んでいるのは生きている証です。

多分あなたを振った相手も所詮は考える葦。あなたとは違う次元で悩みに苦しんでいるはずです。
種別が異なるにせよ、同じ荷物を抱えて人は生きているのです。

闇を選んだあなたは振られたあなたよりも強くなり、今回の別れが実にちっぽけに見えてくるはずです。

そして最後に「スタートライン」の歌詞はこの言葉で締め括られています。

♪今私たちに大切なものは 今夜夢を語り合うことじゃなく 一人ぼっちになるための スタートライン♪

スタートラインに立てば人は走り出す事を許される。走っている過程で様々な景色があなたに降りかかる。恋人といた日々に立つことはなかったスタートラインにはこうした可能性が待っている。

今夜夢を語り合うことがそんなに大切でしょうか?夢は何かをやっている最中に現れてくると思います。

今語れる夢以外にもっといい夢があるはず。

皆さんもスタートラインに立って過去を見るのではなく、目の前の景色(未来)へ気持ちを傾けましょう。

どうせ生きるんだったら、前しか見れない人生の方がお得。

多分、素直な人ほど過去の生き方に正直者になっちゃうのかもしれません。

私も周りから素直なやつ、とか、真面目過ぎ、とか言われてきましたが、あれは裏を返せば「過去にこだわらず、ふざけてみなさい」というお叱りだったのかもしれません。

今、私はふざけた人間を目指しています。

自分は自分であるために生きている~その2~

こんばんは。前回の続きです。
稚拙な文章にもかかわらず、読んでもらって嬉しいです。ありがとうございます❗

~知足~
死にたい気持ちは強かった。でも、私はある一つの宝物に救われた。それは人とのつながりだった。私を救ってくれたのは学生時代の友人や家族、仲間だった。
これまで私は人脈をそこまで大切にしてこなかった。だからつながりといっても片手で数えられる程度だ。でも、その少ない宝物が私を救ってくれた。

辛い状況で、私はツイッターで現状を吐露し、自分を発信し続けた。それに応える仲間が何人かいてくれた。彼らが心の支えになってくれた。

おかげで私は人生に対する考え方が変わり、一気に負荷がなくなった。
くそ真面目に生きてきた私はすぐに傷つき、たった一つの別れや失敗に固執していたが、ふざけて生きればいいじゃんという気持ちに変わった。

海援隊のスタートラインという曲に次のようなフレーズがある?
「素直な奴ほど傷ついてしまう みんな上手にふざけて生きるのに」

ふざけて生きるという言葉は今の私に必要なことだ。ふざけよう。人生一度きり。悩む時間がもったいない。そして、思いっきり勘違いして生きよう。

振られた理由、転職活動で落ち続ける理由の真理を探す必要なんてない。自分は自分だ。俺を受け入れてくれないなら、次を探そう。
道は必ずある。

気持ちが切り替わった私は無事に内定を得ることが出来た。

世界は誰が作るのか?それは紛れもなく自分の目だ。見方を変えれば世界は変わる。

私が経験した数々の失敗は周りからみたらバカ扱いされるかもしれない。

でも、それは自分にしかないものであり、自分は自分であるために生きている。

自分の失敗はプライスレスだ。
足るを知る、すなわち知足。今の自分を受け入れる。無いものは求めない。あるもので生きる。
周りと比較はする必要はない。いや、比較は出来ない。私の足るものは交換不可能なのだから。



支離滅裂でごめんなさい。思いをそのまま書いたので分かりにくいですね(笑)


でも、これが私の生き方です。
皆さんもそれぞれの生き方があります。

みんな違ってもいいですよね。

自分は自分であるために生きている

こんばんは。
久々の日記になります。
今日は私の人生観について書きたいと思います。
ここから先は口調が少し変わりますが、お付き合いください。

~知足(孔子の言葉より)~

私は一人の女の子に恋をした。それも大学生の女の子で18歳を迎えたばかりのフレッシュな子。

私はその時、20台後半の社会人。少なくとも彼女よりは人生経験豊富で社会の中身・動態は理解しているつもりだった。

私は彼女に付き合ってほしいと告白した。
彼女がその時に言った言葉は今でも忘れられない。
なぜなら、それは18歳の女の子とは思えぬほど、先を予測した的を射た言葉だったからだ。

「あなたは私と付き合ってどういう人生を送ろうと考えているの?私はまだ18歳だし、これから色々と経験を積んでいくことになる。その過程で私の気持ちはいつ変わるか分からない。突然、あなたを裏切る日が来るかもしれない。その覚悟を持って私と付き合おうと思っているの?私はたくさん色々なことを経験したい。それでもいいなら付き合うよ。長く続く保証はどこにもないよ。」

私の心に一瞬、迷いが生じたがそれでも決意は変わらなかった。私は「それでもいい」と告げた。
なぜなら、私にとって彼女は運命の人だと感じたからだ。私にとって彼女はかけがえのない存在だった。絶対にこの子を遠くにいる存在にしてはいけないと思った。

翌日、彼女から正式に彼氏としての許可を得た。それから先は私にとって幸せな日々が続いた。

モテない私に彼女がいることの喜びは長い間、私の心の原動力になり、四六時中彼女のことで心は満たされた。世間ではこれを恋の病というのかもしれないが、至福を導くのが病なら喜んで苦しんでやろう。そんな気分だった。

自宅デートもした。ドライブもした。旅行もした。そしてセックスもした。

本当に幸せだった。私はその至福の中に拘泥し、仕事にモチベーションを見出だせなくなった。そして仕事の辛さにやられて、ストレス性障害となった。
仕事は非正規になり、不安定な人生を迎えることになった。
それでも彼女は私のことを好きでいてくれた。
愚にもつかない男に長い間、愛情を注いでくれた。

私は彼女の愛に甘えた。自分を高めて彼女を守り、恩返しをしようという気持ちは全くなく、彼女といる時間だけを大切にしてしまった。
私はこの生き方は間違いだと思っている。
彼女との時間を大切にするだけでは、彼女を幸せにすることは出来ない。彼女と本気で生きていくには彼女について将来を安心させる必要があるのだ。
元々女性は視野が広い。縄文時代、男は狩りに勤しみ、女は身の回りに気を配った。男は目の前の獲物を仕留めることに重点が置かれた。それは現代の男の遺伝子に組み込まれている。男が近視眼的である所以はここにある。対して、女性は視野が広い。これは歴史に裏打ちされたものだ。

よって私は近視眼的になり、女の立場に立つことはしなかった。

読者の皆さんは察し済みだろう。彼女は私から徐々に距離を置くことになった。しかし、愚かな私はそれでも近視眼的な姿勢は崩さなかった。いや、崩せなかったのだ。なぜなら私は自分を高めることを怠り、彼女にすがることしか術をもたなかったからだ。

既に愛想を尽かしていた彼女は私との関係を金で繋いだ。誤解すべきでないのは、これは彼女の性格に問題があるのではなく、そうした関係に持ち込んだ私にある。私は彼女のために金を使いまくった。時には20万円あげたこともあった。
私の心の弱さは自らの財産を荒削りしていった。

その後、私は彼女に振られた。散々金を使ったものの彼女の心は買えなかった。当然だろう。私は彼女の立場に立つことはなかった。
私は鬱になった。死のうとも考えた。自分の愚かさにやりきれず、彼女を極悪人として自分を正当化しようとした。

続く

夢と希望

今回は私の大好きな洋楽の歌詞を紹介したいと思います。
米国ではロックのボスと呼ばれるブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)の名曲、『Land of hope and dreams』の歌詞です。

Oh oh this train, I'm riding this train
Don't you wanna ride
(This train)
Oh get on, get on (this train)
Grab your ticket and your suitcase
Thunder's rolling down the tracks
You don't know where you're goin' now
But you know you won't be back
Darlin' if you're weary
Lay your head upon my chest
We'll take what we can carry
And we'll leave the rest
Big wheels rolling through fields
Where sunlight streams
Meet me in a land of hope and dreams
I will provide for you
And I'll stand by your side
You'll need a good companion
For this part of the ride
Leave behind your sorrows
Let this day be the last
Tomorrow there'll be sunshine
And all this darkness past
Big wheels roll through fields
Where sunlight streams
Meet me in a land of hope and dreams

この歌詞は どんな解釈もできます。夢と希望に向かって汽車が走り出す。これから新しい仕事に就く人も失恋して人生をやり直そうと思っている人も、夢と希望の地へ走りだそう!

そんなメッセージが込められていると解釈できます。

まぁ、私なんかは失恋に当てはめてしまいますが(笑)皆さんはどう感じますか?

いつか、自分の運命の人に出会える。その人に向かって、「夢と希望の地で逢おう!(Meet in a land of hope and dreams.)」なんて言える人生、カッコいいですよね!

どんなに辛くても今を真剣に生きないと、未来で必ず後悔する自分がいます。
私も昔は失恋して競馬でぼろ負けして、就職面接で落ちまくって、持病の痔で苦しんで最悪の日々を過ごしました。お金はどんどんなくなるし、奨学金の返済も500万円近くあるし、この世から消えてしまいたいと何度も思いました。
真剣に首吊り用のロープを買おうか迷ったくらいです。線路に飛び込んだら遺族に迷惑だよなぁとか、近所に飛び降りるのに適したビルはないかなぁとか考えちゃいましたよ。

でも、その度にこの歌詞を思い出すんです。苦しいのはみんな一緒で、その中でもがき続けていれば必ずチャンスはやってくる。

自分だったら悲しみに浸って泣くよりも、人生の歓喜を掴んで号泣したいなぁと思います。

だって人生はいつでもやり直しが聞くから❗

だから自分も今は再生中です。

いつか夢と希望の地へたどり着く日まで。